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ルワンダ虐殺から30年 見るべき映画2本を紹介

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ルワンダの大虐殺から今日でちょうど30年がたった。1994年に4月7日に始まった大虐殺は同年7月までの100日間に約80万人の犠牲者を出したと言われている。首都ギガリではガガリ大統領らが主席し、追悼式典が開催された。

ルワンダ虐殺とは

 アフリカ中心部あるルワンダは、元々ツチの王が支配する王国がフツ族を支配していた。2種族には人種的な差はなく、宗教や言語も同じ、所属間で婚姻も行われるなど共存関係にあった。

 19世紀末になるとドイツ領東アフリカの一部とされ、第一次世界大戦後にはベルギーによる植民地支配を受けることとなった。

 当時欧州列強の植民地支配の手法の一つとして、分割統治が使われてた。ベルギーもルワンダの人口の2割の少数派のツチ族に特権を与え、人口の8割を占める多数派のフツ族を支配させていた。このことが両部族間に分断を生み出した。

  ルワンダは1961年にクーデターにより共和制に移行後、翌年ベルギーから独立し、フツのカイバンダが共和国初代大統領に就任した。しかし、今度は少数派であるツチ族が政治から排斥されることとなり、新たな差別意識を産み、さらには国外に亡命したツチ族たちは亡命先のウガンダでも差別を受けることとなる。

 1973年に再度クーデターが起こり、フツ系のハビャリマナが2代目大統領に就任すると、ツチ族とフツ族の和解政策をすすめた。しかし、その間にもツチ族に対する、暴力や差別が解消されることはなく、多くのツチ族が亡命を余儀なくされた。

 1987年隣国ウガンダに逃れていたツチ系難民ににより「ルワンダ愛国戦線(RPF)」が結成された。RPFはルワンダ奪還を掲げて1990年10月にルワンダに侵攻を開始。ルワンダ政権と軍事衝突によるルワンダ紛争が始まった。

 フツ至上主義が台頭し国内情勢の不安定化が高まる中、1994年4月にハビャリマナ大統領が搭乗機の撃墜により暗殺される。このことに端を発し、政府と暴徒化したフツによる、ツチと穏健派フツに対する大虐殺が始まった。

 虐殺は、その勃発を受けて侵攻を再開したRPFがルワンダ全土を掌握したことで終息した。虐殺された正確な人数は不明であるが、80万人から100万人ともいわれており、当時のルワンダの総人口730万人のおよそ20%以上もの人が犠牲になった。

ルワンダ虐殺を舞台にした映画

遠いアフリカの中央部で起きたこの悲劇であるが、もっとよく知りたいという人にお薦めの映画が2本ある。

 『ホテルルワンダ』(2004年)

テリー・ジョージ監督のこの映画は、ルワンダ虐殺のさなか、1200人の難民をホテルに保護し命を救うために奔走するホテル支配人ポール・ルセサバキナの姿を描いた実話を基にした物語である。

一番の見どころは、主人公ポールの葛藤と奔走する姿を演じたドン・チードルの演技である。また、大虐殺に至るまでの緊張感や住民の絶望が描かれているのと、無力にルワンダを去っていく国連軍の姿が、見るものに憤りを感じさせて印象に残る。

 主演のドン・チードルはアカデミー賞主演男優賞、ソフィー・オコネドーは助演女優賞、他脚本賞と三部門のノミネートされている。

 『ルワンダの涙』(2005年)

マイケル・ケイトン=ジョーンズ監督のこの映画は、BBCニュースのプロデューサー、デヴィッド・ベルトンの経験をもとに作られており、首都ギガリにある公立技術学校の虐殺を物語の舞台にしている。

 『ホテルルワンダ』との違いは、救われなかった2000人がいたことについて描かれていることと、映画の撮影が虐殺の舞台で行われており、生存者が製作スタッフや出演者として参加していることである。

 

 

 

 

 

 

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